自分で病気を治す方法

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自分で病気を治す方法

 「病気になる理由」で記しましたクルマの乗員の話を思い出してください。
 自分の人生は自分が主役でなければなりません。日々に生じる自らの事柄を他人に委ねては自分の人生とは言えなくなります。そうしてしまっては、委ねた部分が相手の人生の一部になってしまいます。病の症状を「我が身の大事な事柄」としっかり捉えて、医師任せにしてはなりません。クスリの服用も、医師の指示による、としては不味いのです。自分の意志で決定したことと認識するのです。
 『闘病』もしてはなりません。闘おうとするから、勝つか負けるかのみの、二つに一つの苦しい状態になってしまうのです。結果は、大方の人々が「意志の弱い人間」と自らにレッテルを貼ってはウジウジと惨めな姿で日を送るようになってしまうのです。そうして遠からぬ日に縁者を悲嘆に暮れさす日を迎えてしまうことになるのです。たまさか運よく勝ったとしても、再発せぬか、と恐れるその後の日々の辛いこと。

 だから、病とは闘わない方がよいのです、絶対に。
 そもそも、患っている部署も我が身体の一部です。我が身通しが喧嘩してどうなりましょう。例えばですが、リューマチに罹ってしまった右足が正常なままの左足と争ったからとて如何しようもありますまい。

 結論を述べます。病魔には、一緒に暮らせぬ心身である事を理解させて去って貰うのです。そうなった常態を我が身の上に作ればよいのです。
 先ず行って欲しいのは、痛み苦しみの度合いを見据えることです。病気が癒えない人々は自分の不幸の丈を正しく把握できずにいます。皆さんが実際よりも課題にとっています。そうして、もっと悪くなるだろうと不安を募らせては病を深めているのです。
 浮き足立っていったのでは、正しい対処が為されません。先ずは、気持ちが静まる状態を作りましょう。
 今日の日、明日の一日、明後日からの日々の一つひとつで、「活きているが上の我が命」を愛おしく思いことから始めてください。朝の目覚めが苦しかったならば、その苦しみを噛み締め味わうのです。痛くって耐え得ぬのなら、耐えないことです。男だ、大人だ、父親だから弱みは見せぬ等、痩せ我慢は症状を悪化させるだけに過ぎません。男や大人を気取るより、素直な人間の姿を晒した方が病魔には効果があるのです。無理は病魔側に益するのみなのです。堪えたり、闘ったりは絶対にしないことです。イタイイタイと泣き騒いでください。その方が己が身の労わりになりましょうし、愛おしさも湧いてくるものです。
 酷く辛い状況ではあるがしかし、確かに息づいている自分自身を実感するのですから、戦いもがかず、苦痛とストレートに向き合っているのですから、直ぐさま、康状態が現われて来ます。必ず、絶対にそうなります。闘おうとするから病魔も負けじと争うのです。あなたが嫌うから相手も嫌って穏やかにはならないのです。力を抜けば向こうも手を抜くもの。話し合おうとして心静かに顔を向ければ病魔の顔も和らぎの表情を見せてくれるはずです。  こんな気持ちに慣れれば次の手順からは楽にできましょう。  次は、呼吸を整える方策に入りますが、簡単ですから気楽に事は進みましょう。  幼児の頃の静かな息を取り戻せば病魔は失せてしまいます。これまでの人生上、重ねに重ねた身のすさみで乱れ続けていた呼吸を、本来的な静かなものに戻せばよいのです。呼吸法にこだわるヨガや気功の目的もこれにあります。病とは無縁の日々を『息災に暮らす』(息災とは仏教語で、身の災いを止めることを意味する。息は呼吸の他に止と同義も持つ。「新字源・角川書店」より)と表現する由縁である、なんぞと捉えてみるのも一興ではありましょう。

 更に述べます。人間が自分自身で直接的に調節できるのは呼吸のみでありますから、病を去る天与の方法として「呼吸法」なるものが存在するのです。がしかし、世の中に様々あるヨガなどの呼吸法は押しなべて訓練を要します。だから病人には続きません。病の辛さが倍化します。
 それ故に私は、極めて安直であり、且つ容易である『暗記』を奨めています。
 『暗記』は「想起」です。何かを思い出そうとする際には誰もが心を静めようとします。しかも特段、意図することなくごく自然にです。これは、結果的にヨガや気功を行っているのと同様のことになるのです。ヨガ、気功、太極拳などで呼ばれている事々は「体現修身法」とでも呼べるもので、身の汚れ穢れをムリなく穏やかに取り去るものです。従って、『暗記』をやれば当然それ等で得られる効果も我が身に発生していることになるのですから、日常的にこれが為されれば、後は、ひたすら快方に向かうのみ、と成り得るましょう。
 私が、還暦を過ぎても病知らずなのは『暗記』に親しんだからに他なりません。ですので、私と同じ事をやればよいのです。難しいことは何にもありません
。  もちろん、円周率の「翻訳もどき」に勤しんでいただければよいのですし、「小倉百人一首」を覚えるのもよいでしょう、気に入った小説の文章を記憶しようとするのであってもよい、更には日々に読む新聞の見出しに対峙しようとするのも、これまたよいことで、それはそれは大きな効果が必ず伴ってくること疑いようもありません。
 そうした日常を持ったなら、日ならずして病魔は退散し去り、二度とは寄り付かない身とはなりましょう。そうなるのが必然だからです。何故なら『息災な暮らし』ことになるからです。心の奥底から雑念を払い切るものですから、それは穏やかな息とはなりましょう故、病魔には住み難い心身になり切ります。彼らは必ず去って行ってしまうでしょう。回転軸のぶれは治まります。
 病魔さんの捨て台詞は、「まことに居辛い何とも安らかな身体よ」だそうです。

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